症状・疾患

肩こりについて

ここでいう 「肩こり」 とは臓器自身に起因するものではなく、いわゆる自律神経に関与するような症状・疾患を対象にしています。 つまりテクノロジーによる西洋医学的な検査によって異常が認められないのに肩こり症状が存在しているような場合のことです。 

操体では 「からだの使い方や動かし方」 によって、骨格が歪み、動きのエンジン部分である筋肉に圧痛・硬結が生じる、と教えています。 からだの使い方として、手の場合、たとえば、小指側を使わず、親指と人差し指をメインに使うようなことをすると、後頚部が太くなり、背筋が収縮して硬くなってしまいます。  これが肩こりのひとつの原因と言えるものです。 そして右の背筋が硬くなるのは右肩が、左の背筋が硬くなるのは左肩が凝っているのです。 しかし、手の使い方だけが肩こりの原因ではありません。 足の使い方においても複雑に関係してくるのです。 

手における利き手は、生まれ持った利き手から非利き手に矯正しても本質的に変わることはありません。 次に足の利き足については、ボールを蹴るなどの 「足の操作による利き足」 と、片足立ちするときなどの 「からだを支えるための利き足」 があります。 からだを支えるための利き足こそが自律神経に関与し、利き手との連動において、肩こりに多大な影響を及ぼすことにもなります。 これにはからだの 「体重移動」 と 「重心移動」 が深く関係してきます。 この重心移動というのは、下半身の体重移動から始まり、その後に上半身の重心移動が起こってきます。

からだの 「体重移動」 と 「重心移動」 の理論を理解するには、まず、「利き手」 と 「利き足」 の使い方・動かし方の理解が必要です。 四肢末端である手足の 「利き手」 と 「利き足」 の関係については、「右手・右足利き」、「右手・左足利き」、「左手・右足利き」、「左手・左足利き」 の四つのパターンがあります。 利き手・利き足の考え方が肩こりにどのような影響を及ぼすのか、まず、利き足について検証してみると、立位において体重を支える方の利き足と反対側の非利き足の比率はおおよそ6対4と考えられており、左右均等ではないということです。 この場合、体重を支えている利き足と反対側の背筋が収縮し、また座位においても体重を支える方の臀部と反対側の背筋にも同じような収縮がみられます。 

今述べたように体重が左右どちらの足または臀部にかかっているかを判断できれば、改善への方向が見えてきます。 これは何も背筋を触診しなくても靴底の減り方を見ても判断できます。 靴底の減り方が左右おおよそ6対4以上の差異があれば、利き足と反対側の背筋がその比率に応じて収縮していると見ることができるのです。 健康な状態であれば、利き足と反対側の背筋が少し硬いのが普通ですが、からだを左右に側屈させてみると、利き足側にはよく曲がり、非利き足側へは曲がりにくくなっています。 これは、非利き足側の背筋の方が硬くなっているため、側屈にブレーキがかかってしまうからです。 これから言えることは、硬い背筋側へは側屈しにくいというのがわかります。

肩こりに話を戻すと、これら左右の足にかかる体重の比率がおおよそ 6対4 以上に差異が広がるにつれて、非利き足側の背筋がそれに比例して、より異常収縮を起こし、それが強い肩こりを発症させることにつながってゆくのです。 これらの内容から肩こりは肩が原因しているのではなく、非利き足側の背筋の異常収縮にあり、根本原因は、からだを支えるための利き足にあったことが理解できたと思います。 同じように座位においても体重を支える側の臀部の反対側の背筋に異常収縮があり、肩こりの根本原因は臀部にあります。 立位なら利き足、座位なら利き足側の臀部へ体重を6、非利き足側へ4の比率にすることで健康な状態に改善することが可能です。

ひとりごと

自律神経疾患の診方

自律神経疾患というのは、「交感神経」 と 「副交感神経」 のアンバランス状態のことです。 たとえば、心臓の拍動を速くする、あるいは遅くするなど、交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキの役割があります。 この自律神経が関与する病気はたくさんあり、めまいや頭痛、肩こりや腰痛、不整脈やうつ病など多岐にわたっています。 しかし、MRIやCTなどの検査をしても異常がないのに症状が続いている場合などは、ストレスなど精神的なものとして片付けられてしまいます。 これは西洋医学において自律神経疾患に関する教育や診断が十分にされてこなかったと思えるのです。

西洋医学では通常、からだの前面を中心に診察しますが、日本医学とも称される操体では、基本的な触診において、からだの後ろ側の部分にある 「膝裏」 と 「後頚部」 と 「肩甲間部」 における触診でもって硬結・圧痛点を探り出します。 次に、四肢末端部の動きから始まり、腰へ、それから全身へとからだに感覚を問いかけながら連動を誘います、そして快感覚の聴きわけから更に、その快感覚を納得するまで味わい続けるのです。 このようにクライアントが自ら充分に快を味わうことによって、それら筋肉の硬結部は緩んで柔らかくなり、圧痛点も消失するという、操体ではこういった劇的に軽快することも少なくありませ ん。

共鳴周波数と生体エネルギー ⑤ その2

操体は自力自療のフィールドにあります。 そんな中で操体操者は意識的な呼吸法と瞑想的な手法によって高い周波エネルギーを維持することになるのですが、それがこのセラピーの中心となる周波数です。 クライアントは同時にセラピストでもあり、からだがヒーリングのプロセスにある人のことです。 クライアントはただ操体操者の波動に自分のからだを合わせて同期化しているだけなのです。 このように操体操者もただ、高く調和したエネルギーを維持することで、クライアントのエネルギーがその波動に同調していくことになります。

そのような操体操者の調和したエネルギーを受け取ったクライアントのからだの内なる知性が自らセラピーを起こすための必要なプロセスを始めてくれるのです。 それが気持よさ、心地よさという快適感覚をもってクライアントのからだはその深遠なる知性のセラピーを起こすのです。 これには操体操者の意識的な呼吸法と瞑想的な手法が求められるのです。 そうでなければ操体操者がクライアントの低い波動レベルにまで下がってしまい、疲れ切ってしまうことにもなります。 これら共鳴の機能は相互の同期現象が発生するため、ふたつの振動周波数のうち、回転数の遅い回路は次第にスピードを上げ、速い回路の速度に追いついていきます。 このようにして調和したエネルギーがもう一方の生体エネルギーへと伝達されるのです。

共鳴周波数と生体エネルギー ⑤ その1

操体のセラピーにおいては、「生体エネルギーの周波数」 が重要な意味を持っています。 この生体エネルギー周波数というものは、音楽の3要素、すなわち、「リズム」、「メロディ」、「ハーモニー」 の音響エネルギーの伝達における共鳴システムから説明することができます。 たとえばここに、確実に調律された二種類の楽器があるとします、そして、一方の楽器が「ファ」の音を出せば、もう一方の楽器もその周波数を吸収して同じ周波数で同時に振動し、同じ 「ファ」 の音を出します。 これは、ふたつの楽器が互いに共鳴し合うから発生した結果です。 空間を伝わって伝達された音響エネルギーが互いのリズムとメロディを同調させるために、それぞれのエネルギーを一致させる相互の同期現象が起こったものと言えます。

こういった共鳴システムに 「操体セラピー」 をあてはめると、ふたつの異なる生体エネルギーの周波数振動には、共鳴力が発生し、一方からもう一方へと生体エネルギーを伝達する作用を引き起こします。 ふたつの生体エネルギーがそれぞれ異なる周波数で振動すると、同期化という別のエネルギー伝達機能が両者を調整し、同じ周波数で振動させようと働きかけてきます。 それらは自らの動きと生体エネルギーを相手のリズムとメロディに同調させようとするものです。 このように異なるエネルギーの周波数がリズムとメロディを合わせて調和すること、これがいわゆるハーモニーなのです。 生体における特筆すべきこととして、女子寮などの共同生活の中では、生理の周期が同調し始めるといったことが起こるのです。 女性にはこのような神秘的なプロセスが存在しています。

「我々の病気は身体器官の不調和であり、その部分に強く調和したリズムを集中させれば、その波長に影響されて器官が再び同調し、機能し始めるかもしれない」 こう言ったのはアイザック・ベントフが1977年に発表した著書の中で語った一節ですが、彼はこの理論を、エネルギーヒーリングが効果を発揮する理由と仮定しています。  操体セラピーのプロセスにおいても、異なる生体エネルギーが共鳴し、同期化しながら異なる周波数で振動すると、操体操者は意識的な呼吸法と瞑想的な手法によって周波数を高めていきます。 するとクライアントの低い波動が上昇して、気持よさ、心地よさという快適感覚の形態を取り、操体操者の波動に共鳴することで、生体エネルギーのリズムとメロディが同期化していきます。 それはハーモニーによる調和作用でヒーリングエネルギーを人から人へ伝達させる普遍的な波動なのです。

感情と生体エネルギーと呼吸

「感情」 は 「生体エネルギー」 から生まれたものであり、ものを感じる能力は生体エネルギーの流れのはたらきによるものです。 われわれにとって最大の生体エネルギー源というものは 「呼吸」 になります。 したがって、生体エネルギーの流れ方は、いまここ、その瞬間の呼吸のありようで決定することになります。

「呼吸」 と 「生体エネルギー」 と 「感情」 の相互連動こそが、われわれの生活におけるもっとも基本的な要素だったのです。 われわれが自分をどのように経験して、どれだけ創造性を発揮することができるのかは、こういった相互連動にかかっているのです。 このような感情のもつ創造力を生かすためには、生体エネルギーの自由なひろがりとその流れを呼吸によって意識的にサポートすることが必要不可欠なのです。 しかしながら、われわれの生活はどうやらその正反対をやっています。

あなたが悲しくて泣きだしそうなときや怒りの感情を抑え込んでいるとき、あるいは性的興奮を抑制しようとするときには、自分がいかに息を止め、自由な呼吸の流れを収縮させ、湧きあがってくる感情に対するもっとも基本的・自動的な反応が、からだを緊張させ、呼吸を抑制することだったのです。 なぜなら、それが好ましくない感情に対処するための効果的な方策だったのです。 味わいたくない感情のなかにあっては、生体エネルギーの動きを止めることで、感じなくなれるわけです。 つまり、呼吸をほんの少しでもおさえれば、生体エネルギーの動きを減少させるので、感情の意識部分を切断することになります。

このように呼吸は好ましくない感情を無意識のうちに、少ししか感じないことを選択してしまうのです。 しかし、それらのつらい感情を一時的に抑え込んでも、収縮した生体エネルギーの傷がそのまま残り、感情部位には傷がついてしまいます。 それを解消するには、深く静かな呼吸に生体エネルギーが大きく広がってゆくのに身を任せ、その傷をしっかりと感じたうえで必要なヒーリングを受け入れる、というような方法で解決することができるのです。 こういった収縮した生体エネルギーは、精神疾患や筋肉の緊張から肉体的疾患も発症することになるのです。

からだの動きと感覚

操体法のプロセスには、からだを動かして診る 「動診」 というものがあります。 操体ではなぜ 「動診」 に重きをおくのか? それを考えてみたいと思います。 生物学的に 「ヒト」 の特徴は他の動物に比較して進化した 「脳中枢」 の存在です。 多くの動物はごく小さな脳や脳なしでも充分に生きてこられたし、まだ今も生きています。 これはどういうことかというと、脳中枢の存在は、からだの四肢末梢部位の動きの経験からなる集積であって、からだの末梢部なしには存在することができないのです。 

つまり、脳は生物進化の後半から生まれたものであり、からだの末梢部位の経験則から能率的に形成された器官が脳中枢ということになります。 そして、からだの動きにはいつも 「感覚」 が伴っています。 言い換えると 「意識はからだの動きから生まれた」 と同時に、 「意識の始まりは感覚にある」 ということになります。 これは心理学の祖、ヴィルヘルム・ヴントが意識を分析追及してゆくと、感覚に行き着くと述べています。 このように意識はからだの動きから生じる感覚であるのなら、からだの動きや感覚が意識の根底にある気分や感情にも少なからず影響を与えていることになるのです。 まさに操体の動診はからだの動きと感覚からの診断学であると思えるのです。

快適感覚を考える

操体には 「気もちよさ」 や 「心地よさ」 のような 「快適感覚」 を味わうという文化があります。 それには、からだの末端の動きから全身へと連動させることによって起こってくるものだと言われています。 こういった快適感覚の鍵を握るのは 「呼吸」 であると私は考えています。 どういうことかというと、からだの動きと呼吸が合っていることにより心地よい快感が生まれてくるのだと思うのです。 すなわち快感覚が生まれる動きと呼吸も連動しているということになります。 

操体において 「からだの使い方・動かし方」 というマニュアルがあります。 それにはからだを使ったあらゆる動作は末端から全身へと同時に呼吸と連動していることだと理解できるのです。 呼吸は 「吸気」 と 「呼気」 という対照的な機能を交互に反復運動しているものです。 そのような呼吸のピッチはからだの動きのピッチでもあり、その呼吸の強弱についても、からだの動きの強弱となって現れてくるのです。 そうした呼吸の合間に息を溜める止息の瞬間を設けることで、からだの動きにも溜めが生まれ、呼吸のピッチを変化させたり、タイミングを合わせたり、微妙にずらしたりすることが起こってくるのです。 こういった呼吸によるからだの動きのコントロールやその動きの持続性は動作と呼吸の連動から起こってきます。

からだの声を聴く

操体では 「からだの声を聴く」 とか、気持よさや心地よさの 「快適感覚を聞きわける」 などの言葉をよく使います。 しかし、実際に身体が声を出すわけでもないし、もし何らかの感覚を聴くというのであれば、それは身体ではなく 「こころ」 ではないかと私は思っています。 西洋哲学のデカルトは、「心身二元論」 を唱え、心と身体は別ものであり、脳の松果体を経て表面に現れるものだと考えていました。 一方の東洋哲学では、心は 「真我」 であり、肉体と精神は同じもの、すなわち 「心身一元論」 であると言います。 どちらが正しいのかどうかは、よく解っていません。 操体ではそういった一元論や二元論で説明のつかないことを表現するのに、「心」 ではなく 「こころ」 と表現し、「身体」 や 「体」 ではなく 「からだ」 と表現しています。

「からだ」 が発する声を 「こころ」 で聴くというように 「からだ」 と 「こころ」 はつながっているということになります。 ではどこの感覚で 「からだの声を聴く」 のか? 我々は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五つの感覚器官を通して周りの世界と接しています。 それなら聴くという限りは当然、聴覚、「耳」 になるわけですが、ただ物理的に聞くというだけの耳ではなく、「聴覚野」 という脳の中で耳からの音声情報を処理する部位によってからだの声を聴くのです。 聴覚野は側頭部の耳の位置より少し上にある部位に意識を置いて聴くことによって耳が緩み、からだの感覚を聴きわけることができるのです。 ということは、こころは聴覚につながっているということになります。

操体では 「からだが発してくる快・不快の感覚を聴きわける」 ということをとても重要にしています。 このような 「聴く」 という行為は、古代エジプトの絵文字 「ヒエログリフ」 が表していました。 それが意味するのは 「生命」 や 「生きる」 を意味しています。 この絵文字から 「生命は耳から入り込む」 ということを古代エジプト人たちは伝えていたのです。  すなわち 「生きる」 というのは 「聴くこと」 から始まるということを。 古代ギリシャの病院遺跡からは、各部屋をつなぐ伝声管のようなものがあり、その用途は、患者に音楽や人の声を聴かせて自然治癒力を高め、病気を治すためのものだろうと考えられていました。 現代の音楽療法や聴覚療法がすでに古代ギリシャで行なわれていたのです。 今、それは 「操体」 という形を変えて登場したものと考えています。

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