以前に強迫神経症(強迫性障害)を患って来院したことがある二十代の女性Hさんはアメリカの航空会社のエア・ホステス(CA)として働いている。その彼女から夕方に電話があり、その夜遅くになるが、予約を受けてもらえるか、との問い合わせだった。

私は彼女を温かく迎え入れ、今、彼女はどんな具合かと慈しみ深く尋ねてみた。彼女は私をぼんやり見ながら、ただ「わかりません」と言うことができるだけで、彼女の顔はこの場の安心感で打ち震えた。私は彼女を施術ベッドに座らせて、両眼を閉じるように、そして、何が出てこようとも許すように言った。

次に彼女の感情的主要点でもある眉間に私の指先をあて、軽い押圧を加えながら微振動を与えて想念波動を高め、その後は軽く触れるのみにとどめた。すぐさま彼女は、わけのわからない声を立てて、口を動かし始めた。あたかも、彼女はまるで言葉にはできない感じでいっぱいのようだ。数瞬ののち、彼女は施術ベッドにくずれ落ちると、あえぐように深い息を吸い込む動きをしていたが、それはまるで、彼女がすべての痛みと、苦悩と、不幸と、困惑を投げ出して施術ベッドにそれを置いているかのようだった。このとき、器質的な準主要点であると私は認識している右側頸部にもう一方の手の指先を触れていると、呼吸は安定してくる。そして、それから乾いたスポンジのように私は彼女に対する気遣いと、そして穏やかさの中に彼女を浸らせているのだった。

問診では感情の言葉を話すとき、言葉を使うか、あるいは沈黙を使うか、いかにHさんが何も言うことができなかったか、そしてなお、あらゆることを言ってしまったか、ということだ。これこそ感情の言語の使い方であり、それは言葉でもなければ沈黙でもない。

そしてこのように、あえぐような深い息を吸い込む動作を一般には「過換気症候群」と称して、動脈血中の二酸化炭素の低下が原因であるとし、紙袋等で自分の吐いた息を再呼吸して、血液中の二酸化炭素を上昇させて回復に導く。あるいは、経口筋弛緩剤やマイナートランキライザー等の薬物療法を併用したりすることは決して根本的な解決策ではない。呼吸を本当に深く理解している者ならそのような過ちを犯すことはまずないだろう。

また操体的な診方をすると、右肩甲骨の内側の背筋と右腰部の背筋が硬くなっていて、体軸が左へ傾いているという形態が認められる。これらのボディ情報から動診・操法に導けばいいのであるが、今回の症例では、あえて点の渦状波のみで対応したものである。

彼女の身の上に一体何があったのか、私にはわからない。しかし、療術者たる者、決してうろたえてはいけない。患者の症候について決して困惑してはならない。そして治療に関してはどんなアイデアも持たないことだ。疾患にそれ自身の道をとらせるべきだ。療術者はただそれと一緒に行くことである。何が起ころうといい。それこそが臨床の姿勢であるべきだ。それが基本的な感応に満ちた姿勢だ。

精神療法的にいうと、彼女は自分の肉体に連れ戻されなければならない。彼女の頭から引き下ろされ、そして肉体に拡がらなければならない。ひとたび、彼女がその肉体の中に入れば、あらゆることが可能になってくる。というのも彼女は生き生きとし、そして感受性豊かになって戻ってくるからだ。彼女は自分が属しているところである動物の世界の一部となることができる。それは樹木に! 動物に! 鳥たちに!

それから二十分も経った頃、ニコッと笑って「ありがとう」の言葉とともに帰宅する彼女のうしろ姿に「大丈夫!」と、私は心の内でつぶやいていた。