四十代の男性M氏が来院、問診票に目を通すと「精神不安定」と書かれている。どのような感覚をもっているのか、との問いにM氏は「地に足がつかない」というような不安を感じるというのである。視診からもそれが証明されている。どうやら慢性的に悪い姿勢が身についているようだ。不安というような、ココロに最も影響を及ぼすのが呼吸であり、M氏のからだは極めて呼吸しにくい状態にあると、結論づけられる。

呼吸というのは肺だけで行っているわけではなく、背骨や横隔膜の呼吸筋などと連携しながら、絶妙なバランスの上に成り立っている。特に背骨は、カラダの中心軸であると同時に、心の中心軸でもあり、心のよりどころとなるものだ。姿勢が正しく、背骨がスッと伸びていれば、ココロとカラダの一体感を持ちやすいが、慢性的に悪い姿勢が続いていると、背骨がカラダの中心軸として機能しなくなる。ひいては呼吸もしにくくなりココロとカラダの中心軸が分離して、不安を覚えることになってしまう。

M氏のような悪い姿勢は、背骨や胸郭が呼吸と連動しにくく、呼吸の障害となってココロとカラダの一体感が得られないといった不安感を抱え込むことになる。本来的に言ってカラダとココロは分離したものではなく一体であるから、ココロの安定を保つには、身体環境を無視することはできない。M氏の場合、背骨本来のS字曲線が保たれていないことから、背骨がスッと伸び上がっていないのである。だからといってカイロプラクテックのように背骨に対して直接アプローチするのは決して好ましいものではない。骨格の変位に対して、なかば強制的な矯正を施すのはからだにとってあまりにも乱暴な態度である。

背骨の変位は、下から、つまり足から調えていくことが最も大切なことだ。身体の土台である下半身がしっかりしていれば、自ずと、上半身、カラダ全体が安定してくる。だから、土台である足が安定しなければ、その上はますます不安定になってしまう。このように、土台の足を見直して基礎を固め、まっすぐな芯柱である背骨が立ち上がれば、自ずとココロとカラダの中心軸がひとつになって、心の安定感が出てくることになる。

それにはまず、足先を動かして、大地としっかり繋がるようにしなければならない。足趾の動きが鈍くなっていると、カラダの土台が不安定になってしまい、安定した姿勢を保ちにくくなる。気持ちが落ち着かない、集中力が続かない、健康に自信が持てない、といった不安感を抱いている人は、M氏が言うように、まさに「地に足が着かない」ということなのである。これは足先である足趾にまで気のエネルギーが達していないからであり、この末端の足趾にまで気のエネルギーが充たされると、大地をつかむ感覚が繊細になって、大地とつながったような落ち着きと安心感を得ることができる。

また、足に気のエネルギーが充ちるということは、同時にカラダの隅々、つまり、頭の隅々にまで行き渡るということだ。すると、脳の疲れも取れてきて、プラス思考を保てるようにもなってくる。しかし、カラダの中でも普段よく目が届くところに意識を向けやすいという傾向がある。そのため目が届きにくい足は意識から遠のいてしまい、ケアも怠りがちになり、自ずと気のエネルギーも巡りにくくなってしまう。

「気血」という言葉があるように気のエネルギーの巡りがスムーズに行われず滞っているということは、血液の流れも悪く、それがお腹に集まりやすくなっているということだ。すると、カラダの末端である足先には届きにくくなって、足先が冷え、不快な感じを抱くようになってくる。これは女性に多くみられる症状であったが、最近は男性にも増えている。

そもそも足というのは、靴によって締めつけられ、その足先には、滞った血液や体液が溜まって、より循環しにくくなっている。そんな哀れな足を解放して、気のエネルギーや血の巡りをよくするために、最適な方法として私は足趾の操法を行っている。特にM氏のような患者には抜群な効果を期待できる。これは請け合ってもいい!!

さて足趾の操法に入る前に足趾を触診してその状態を確認しておく。はじめに足趾を順に開いて、趾と趾の間の谷間の深いところを触診する。なかには趾が開きにくくて、それだけで痛みを感じてしまう人もいる。M氏の場合は、左足の第四趾と五趾の間の谷間で、少し第四趾寄りに強い痛覚が認められた。右足では第二趾と三趾の間の谷間を触診すると、アキレス腱がつるような感じがするということだった。これはアキレス腱が萎縮しているものと思われる。アキレス腱が萎縮しているということは、ふくらはぎ、膝の裏側、太ももの裏側にいたるまで、いわば脚の裏側全体が萎縮していることになり、背中も丸くなってココロとカラダの中心軸や重心もズレてくる。そのため、落ち着きも集中力も低下しがちになるということだ。

足趾の操法では、はじめに「足趾揺らし」から入った。M氏に感覚をききわけてもらい、揺らしの強弱を微調整しながらゆっくりと丁寧に行なってみた。最初のうちは少し緊張していたせいか、下肢部が不自然に振動していたのが全身にいきわたるようになってきた。気持ちいい感覚というのは顔の表情に現われるのですぐわかる。念のため、本人にも確認すると、やはり気持ちいいという。そりゃそうだろう、今まで「足趾揺らし」で不快を訴えたというのは、私は経験していない。続いて「つま先の押し込み」に移ったが、ここでも気もちよさを十分味わってもらった。さらに「足趾落とし」と繋げたが、すべての感覚が気持ちよく味わえたと、本人から確認できた。特に「足趾落とし」ではアンコールの要求があり、いちばん気に入ったようだった。足趾の操法の後は、左足のつま先と足関節の底屈において快をききわけることができたので、その動診と操法をとおした。

このように足趾の三種類の操法と左足の動診、操法を施した後、さきほどおこなった左足の第四趾と五趾の間と右足の第二趾と三趾の間の谷間を触診してみたが、不快感はなくなっていた。何よりも顔の表情が格別いい。額は緩み、頬の緊張は和らいで、眼はしっとりと潤んでいるようにも見える。そこで三回ほど深呼吸をしてもらい、まだ不安を感じているのか聞いてみた。「すっかり落ち着いた」、「足がまるで大地とつながっているように感覚できる」と、しっかりした言葉で話す。

仕上げとして、このあと自律訓練法を指導してM氏の施術は今回の一回きりで終えることができた。